天空の城 2006/4/28⇒2006/5/6 |
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クスコから列車で4時間、そこからバスで13段、高低差400メートルの九十九折を登った急峻な山の尾根に、忽然とこの謎の遺跡は姿を現す。麓からではその姿を確認することはできず、発見されたのは1911年と20世紀に入ってから。航空機もろくに存在しない時代では登って確認する他なく、その過程は困難を極めただろう。 場所が場所だけに使途、目的などに不明な点が多く、またインカ時代(15世紀)とされるその建造年代は紀元前とする説もあり、ひとことで言うとやはり「謎の空中都市」という表現がふさわしい。 | ||
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クスコからマチュピチュの麓までは列車で移動する。私の場合はチケットの都合上、途中オリヤンタイタンポという村までコレクティーボ(乗り合いタクシー)で行き、そこから列車となった。 ここからマチュピチュ麓のアグアス・カリエンデス駅までは2時間程度の行程となる。列車は世界各地からやってきた観光客でいっぱいだ。 |
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駅でマチュピチュの入場チケットを持って待っているハズの現地スタッフが見当たらず、あたりに尋ね回るも埒があかない。見かねた同じく現地スタッフとおぼしき娘連れの女性が、とにかく家に来いと言ってくれたので付いて行くと、その人の実家らしき食堂で私の担当の現地スタッフが油を売っていた。 私とその女性が一緒になって文句を言うと、まだ少年の私の担当スタッフは、ごめんなさいという感じで下をむいた。向こうは向こうで私を探したが見つけられず帰ってきてしまったらしい。ラッキーなのかアンラッキーなのかよくわからないが、とにかく困ったときは騒ぐのがよいようだ。 ありがとう、あの時のマチュピチュの母娘。 |
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憧れのマチュピチュは雨が降っていた。高温多湿なアマゾンから吹きつける貿易風がアンデス山地にぶつかって上昇し、大量の雨を降らせるのだ。おかげでマチュピチュのような山の上の痩せた土地でも植生が豊かで、地面はまるで緑の絨毯のようだ。 |
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マチュピチュ遺跡には家畜なのか野生なのかよくわからないが、多くのリャマ(アルパカ?)が住んでいる。 目の前でヒョコり壁の上に飛び乗ったところを、記念に一枚。 |
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マチュピチュの下の方はこんな段々畑になっている。かつてこの地方に栄えたインカ帝国は、知恵に基づく豊かな農業生産により支えられた、穏やかな国家であったと聞く。この段々畑も、彼らのそんな知恵と技術によって作られ、日々耕されていたのだろう。 |