インドシナ周回の旅  2002/12/21⇒2003/1/6
  一ノ瀬泰造という写真家がいた。カンボジア内戦の戦場カメラマンとして著名な人だが、1973年の秋、26歳という若さでアンコール・ワット近くの森で戦火に倒れ、もう彼に会うことはできない。
  僕が彼の存在を知ったのは、この旅を終えて半年後、西新宿で開かれていた写真展でだった。それから更に半年ほどしてから、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という、彼の生涯を綴った映画を観た。コミカルな題名とはうらはらに、そこに描かれていたのは、僕が旅してきた風景に似てはいるが、全く異なるカンボジアであり、アンコール・ワットであり、そこに込められた熱い思いだった。
  旅の風景は、その時の気持ちによって決まる。だが後になってから変わってゆく風景もまたあるのだなと、その時思った。静止しているようにみえて、変わり行く風景。それを見つけることが、旅に出て写真を撮る理由なのかもしれない。

 
国境の町
 
  タイ国境の町、カンボジア・ポイペットの風景。下の写真で奥に見える、塔のついた門らしきものが国境。その左側の建物(大小どっちだったかは忘れてしまった)がイミグレだったように思う。
  タイ側国境(アランヤプラテート)に比べると町の様子がかなり違っていて、両国の置かれた状況の違いというのを痛切に感じさせられる。
  とはいえこの時は大量の国境チルドレンに囲まれたり、イミグレで正体不明の男に詳細不明の手数料請求されたりで、冷静に状況を分析している余裕はないのであった。
  このルートがツーリストに開放されたのは、ほんの数年前だという。国境付近には金持ちタイ人目当ての豪華カジノ&リゾートが立ち並ぶ一方、少しはずれると荒れた光景が広がり、デスペラードな雰囲気が漂う。
  果たして無事アンコールワットのあるシェムリアップの町にたどり着けるのだろうか?
 
 
 

 
  シェムリアップに向かう途中、トイレ休憩で立ち寄った売店で飲み物売りの子供たちに囲まれた。トイレに行きたくはなかったし、クルマから出ると囲まれることは分っていたのだが、車の中に閉じこもっているのも何だか嫌なので、出てしまったのだ。
  最初はいらないと断っていた。だが一人の少女が結構英語を話すので、いろいろ話すうちについ根負けして一本買ってしまった。すると最初に売り込んできた子が血相を変え、泣き出しそうな声で抗議してきた。たったコーラ一缶で、そんなことになるとは思ってもみなかった僕はたじろいだ。
  そのうちクルマが出る時間になった。僕はそのまま乗り込み、クルマは動き出した。さっきの少女が物凄い形相で睨んでいた。僕はたじろいだ気持ちのまま、その姿を見送ることしかできなかった。
 

 
  シェムリアップ、そしてアンコール遺跡群  
  
  ポイペットの街からマイクロバスで6時間、シェムリアップの街を目指してバスは走る。道は凸凹が激しく、場所によっては人が歩く程度の速さでしか進めない。
  やがて陽も落ち、街灯などあるはずもない国道6号線は闇に包まれる。そんな中をバスはひたすら前へ、前へ。遅くなるとAK構えた山賊が出るという噂もあり、早くたどり着かねば危険なのだ。そのためか、シェムリアップの街の灯が見えると、乗客から拍手喝采が沸き起こった。
 
 
バイヨン
  バイクタクシーのドライバーの名前は「ホン」、日本語の「本」と同じだと笑いながら自己紹介した。まだどことなく少年の面影を残す若者だ。
  後部座席にまたがって気持ちよい風に吹かれながら、僕はホンに尋ねた。「最初はどこに行くのか」
  すると彼は短く「バイヨン」と答えた。オレの憧れのアンコール・ワット、最初の風景はこんなだった。
 
 
バプーオン
  手元の資料によれば、クメール語で「隠し子」という意味らしい。かつてシャムがクメールに侵攻したとき、王妃が子をこの寺院にかくまったという。
  とはいえ、予習もせず、ガイド本も持たず、ただホンに言われるままにふらふら歩いてるだけのこのときのオレには、次々と現れる巨大遺跡群にひたすら「うーむ」と唸るしかないのであった。
 
 
 
象のテラスから
  王宮の城壁前面に広がる、象のテラスからバイヨン方向を眺めた風景。下の壁いっぱいに象の彫刻が施されていることからこの名前がついたらしい。
 
 
 
タ・プロム
  宮崎駿のアニメ、「天空の城ラピュタ」で城のモデルになったという遺跡。場所によっては積石の隅々まで木の根が入り込み、もはや自然と人工物の境目がはっきりしない。
  この遺跡を見ていると、輪廻転生という言葉が自然と思い浮かび、何だか厳かな気持ちになる。
 
 
 
タ・プロム
 
  現代文明もいつかは、こうやって木々に囲まれる日がくるのだろうか。神にしかわからないことだが、それでも還るべき風景があるというのは幸福なことだろうと思う。
 
 
 
クバール・スピアン
 
  シェムリアップの町からホンのバイクに跨ること90分、そこから山道を登ること30分でこの遺跡にたどり着く。川床の岩にクメール時代の彫刻が残っているのだ。しかしカンボジアで登山をするとは思わなかった。
  バイクの後ろで90分はきつかった。当然ながら道は舗装されておらず、赤土凸凹の悪路。何度か振り落とされそうになるのをこらえ、よくぞ無事たどり着いたという感じだ。
  なのでこの遺跡についての印象は、歴史を感じさせる彫刻よりも、真っ青な空と赤いラテライトの土と、必至になってバイクにしがみついていた印象だけが残っているのだ。
 
 
 
 
 
バンテアイ・スレイ
  上のクバール・スピアンに行く途中にある遺跡。ちょうどシェムリアプから一時間地点にある。
  ここでも遺跡を見ながら時間の流れを感じるという余裕はなく、真上から照りつける強烈な日差しを避けようと、わずかな木陰を見つけてへたり込んでいたなあ。
 
 

 
  アンコール・ワット  
 
  アンコールワット遺跡群最大の寺院。熱帯のきつい日差しの下では、薄明かりの頃が写真を撮るには一番いいみたいだ。
  上は中央祠堂、左は参道の脇にある経蔵。上に小さく出ている月がアクセント。
  午前5時に宿を出て、バイクタクシーを飛ばしてやってきた。昼間はうだるような暑さになるが、流石に夜明けの風は涼しくて心地よい。
 
中央祠堂
 
  アンコール・ワットの象徴、中央祠堂。階段の傾斜がきつく、足を踏み外すと地面までまっ逆さまという感じだ。
  よくもこれだけの建造物を重機も使わずに作り上げられたものだと関心する。
 
 
中央祠堂・回廊
 
  中央祠堂は田の字型の構造となっており、四隅と中央に尖塔がそびえる。それらを回廊がつないでおり、熱帯の森に囲まれた風景を見渡すことができる。
  遠くで熱帯の鳥が鳴いている
 
 
夕暮れのアンコール・ワット
 
  黄昏どきのアンコール・ワット。僕も右の写真に写っている人々のように中央祠堂階段に座り、熱帯の森に沈んでゆく夕陽を眺めていた。
 
 

 
トンレサップを超えて
 
  ホンとシェムリアプの町に別れを告げ、プノンペン行きのスピードボートに乗り込む。沈没やら海賊襲来やら、いわくつきの移動手段だ。
  この日も屋根の上に乗客を満載、明らかに定員オーバーで喫水ぎりぎり。その状態で全速で(海賊に追いつかれないようにという噂もアリ)トンレサップの湖面を突っ走るのだ。
 
 
ベトナム国境を超えて
 
  キャピトル・ホテル前から出る、サイゴン行きのツーリストバスで国境を目指す。クルマは15人乗りぐらいのマイクロバス。出発して暫くは良好な道路状態だが、プノンペンから離れるに従い、かなり激しい凸凹道と化す。
  国境ではバスを乗り換える。距離は300メートルほどだが、重い荷物を持って歩かされ、ツーリストたちは不満顔だ。
  いろいろと悪い噂の絶えないカンボジア出国手続きはあっけなく終わり。僕もツーリストや地元の人たちに混じって、国境をとぼとぼ歩く。ベトナム側入国手続きが終わると、おきまりのように闇両替屋がわんさか押し寄せた。
 
 
サイゴンにて
 
  正式にはホーチミンという。着いたのは夕方、ちょうどスコールがやってくる時間帯らしく、水はけの悪い市中はあっという間に踝ぐらいまで水浸しになる。
  翌日はシンカフェの郊外ツアーに参加、ベトコンの拠点、クチトンネルにもぐる。右がそのときの写真(ThanksTo:Ms.A.S.)。紹介ビデオではこの狭い空間を、驚異的な速度で移動するベトコンの様子が紹介されていた。
  下は南ベトナム特有の宗教、カオダイ教総本山の様子。仏教、キリスト教、回教その他いろんな宗教が融合した新興宗教らしいが、何より驚くのはそのド派手な外見。ピンク色だぜ、ピンク色。
 
 
古都フエ
 
  サイゴンから夜行列車にのって、ベトナム中部の町、フエに着く。車中で猛烈な腹痛に襲われ、かろうじてたどり着いたホテルで2晩寝込む。どうもプノンペンで食べたカットフルーツが怪しい。「歩き方」にも「食うな」と警告があったのだが、うまそうなのでつい食ってしまったのだ。
  なので有名な遺跡めぐりは不可、多少ましになってきた2日目に隙を見てチケットの確保とラオスビザの取得を何とか済ませ、市内にある宮城跡を訪ねる。中国の影響が昔から大きかったことを感じさせる建物だ。
  3日目になるとほぼ体調も復活。ようし、ラオス行くぞ!
 
 
ラオス国境、ラオバオ峠
 
  フエを6時ごろに出たツーリストバスは、ドンハの町で晩飯休憩となり、ラオス行きの客はここで乗り換えだと言われる。やってきたクルマはただのワゴン車(写真)、客は僕とチェコのバックパッカー、ペドロさんの2人だけ。
  クルマはベトナムの田舎道を走り、峠に向けて高度を上げてゆく。人家も途絶え、そのうち何もない路上でクルマは不意にとまり、ここで車中泊だと言われる。てっきり近くのゲストハウスにでも泊るのだろうと思っていた僕は驚く。
  車中泊自体はいいにしても、問題はとにかくえらく寒いことだ。クルマにも毛布のような気の利いた装備は無く、かろうじて用意していたトレーナーを引っ張り出して着込むがそれでも寒い。旅なれたペドロさんは、ザックから寝袋引っ張り出してさっさと寝ているし。
  しかし見上げた空の、溢れんばかりの星空の美しかったこと!
 
 
ラオス・ビエンチャン
 
  国境から一日バスに乗りとおしてサバナケットへ、そこからまた一日バスでラオス首都・ビエンチャンへ着く。途中ビエンチャンまでのバスは旧国鉄ドリーム号。外見も車内も当時のままで妙な懐かしさを覚える。
  右はビエンチャンのシンボル、パトゥーサイ(凱旋門)。本家パリのものを模して造られたらしいが、身には仏教様式をまとっており何だかあやしい雰囲気。
 
 
そして、メコンを渡って
 
  パトゥーサイから見渡すと、この町が森に囲まれた都だということがよくわかる。他の東南アジアの都市に見られるような喧騒も雑踏もなく、平和でのどかという言葉がぴったりだ。
  町はメコンに面しており、河原を少し歩いてみる。大河はゆっくりと静かに流れていた。明日はいよいよこの川を超え、バンコクを目指すのだ。
 
 

 
バンコク、再び
 
  ビエンチャン対岸の町、ノンカイからバスに揺られて8時間、バンコクに再び帰ってきた。ここもまた旅先の町なのに、何だか懐かしい感じがする。
  いろいろとトラブルの多い旅ではあったが、誰にも何にも縛られず、自分の意思だけで全てを決め、それによって状況がリアルタイムに変わっていくという経験は、何物にも代えがたいと思う。旅を楽しめないヤツは、人生も楽しめないんじゃないか、そんな気さえする。そう考えてみれば僕が旅に出るのも、人生の楽しみ方を学ぶためなのかも知れない。
  写真はドン・ムアンに向かう空港バスからみたバンコクの街。このまま夜行便に乗り込み、関西空港着は午前6時ごろの予定。

 

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